上武大学・岩政大樹監督

 勝てるチームはどうやってつくるのか。それだけではなく、選手が生き生きと、サッカーを好きになり、また理解が深まるチームには何が必要なのか。

 そんな視点で、元サッカー日本代表の岩政大樹氏が新刊を発売した。『FootballPRINCIPLES 躍動するチームは論理的に作られる』(JBpress刊)は、評判を呼びたちまち重版。今回は本書より、育成世代に重要な勝てるチームの考え方、生き生きとした選手を育てる方法を一部抜粋して紹介する。

 中途半端<徹底<バリエーション

 徹底すること、徹底してやり切ることはどんな場所でも求められます。

 サッカーも同じで、チームとしてやるべきことを決めて、それに対してどんな困難、状況があろうとやり切っていくことは、チームの「あるべき姿」として求められてきました。

 かつてわたしが所属していたチームでも、サイドで起点を作ることを徹底していたときがありました。相手がどう来ようともサイドに入れる。実際、それをやり切る強さがありました。結果につながったこともありました。きっとプロのサッカーチームでもこうした戦い方は多いと思います。

 しかしです。このところその姿に対し、違和感を覚えるようになっています。誤解を恐れずに言えば、時代遅れではないか、とすら感じています。

 例えば、相手のディフェンスラインにどんどん蹴り込んでいくことを徹底するチームが、セルヒオ・ラモスやバラン(世界トップクラスのセンターバックたち)がいるチームと対戦したらどうでしょう。速くて強いふたりは、自分たちのところに入れてくるとわかっているわけですから、簡単に対応できます。そして、クリアもせず、ボールをつないで一気にひっくり返されてしまう……。容易に想像できる結末です。

 つまり、「徹底」というのは、フィジカルや技術といった能力の質的な優位性がどちらにあるかで勝敗が決まってしまいます。おまけに、単調であり躍動感がありません。

 それでも「徹底」は簡単に否定もできません。というのも、ある一定のレベルまではこの「徹底」のほうが優位であるからです。

『FootballPRINCIPLES 躍動するチームは論理的に作られる』(JBpress刊)

 あれもこれもと「中途半端」に作られたチームに対しては徹底したチームのほうが強い。それが顕著なのは育成年代でしょう。

 「さまざまな戦い方」を教えるより、ロングボールを蹴り込み続け、フィジカルに勝るフォワードが競り、チャンスを作り出す。それは強いはずです。何度も何度もそれをやり続けるのは、素晴らしいことではありますが、果たしてそれだけでいいのか? という疑問はいつもついて回ります。

 特に育成年代においては、勝つことによってその選手、指導者たちの「やり方」が形成されていきます。「これが俺たちのやり方・戦い方」というやつです。

 「中途半端」は「徹底」に分が悪い、むしろ押され続けている――そんな状態で日本のサッカーはどうなっていくのでしょうか。「徹底」する側の質的な優位性を追求するのでしょうか。果たしてそれは「対世界」に可能なのか。いや、そもそもそのサッカーは躍動して、プレーする人、見る人の心を動かすのか?

 現代サッカーの成長スピードは加速度的に増しています。そんな中で、「時代遅れ」となってしまった「徹底性」は勝ち残っているのか。わたしは危機感を覚えます。

 センターバックの背後にボールを蹴る。悪いことではありません。サッカーの戦術としてありえることです。重要なのは、蹴ったことでラモスは、バランはどう対応し、それに応じて周りの状況がどう変わり、選手たちはどう動くのか、ということを知ること。そしてそれに対して「わたしたち」はどうするかを、論理的に考えていくことです。

 自分たちのところに蹴り続けてくるとわかっているラモスやバランは、その回数が増えるにつれ、先回りをしていくはずです。前に体を入れようとしたり、立ち位置を調整し、より優位に、攻撃に転じやすくなるアクションを起こすはずです。すると、先回りすることでもともといたスペースが空きます。そのスペースをカバーするために周りの選手が動きます。ズレて、ズレて、ズレていく。それは「わたしたち」にもフリーになる選択肢が増えた、ということです。

 こう動いたらこう。そっちに動いたらこう。

 こうやってできてくるのが「バリエーション」です。「バリエーション」ができると、いつも相手の動きに対して、次の展開を設計できる。それができるチームのほうが強いはずです。相手の逆を常につけるわけですから。

 つまり、「中途半端」は「徹底」に分が悪く、「徹底」は「バリエーション」に分が悪い――。では、「中途半端」が「バリエーション」になるためにはどうするか。

 「こうなったらこう」という戦術を、チームを、論理的に作り上げていく必要があります。そのためにベースを作ることは不可欠です。

 もしかすると日本は、世界サッカーのスピードにあわせて成長できたのかもしれません。それは「日本サッカー」でしょうか。それとも「日本人のサッカー選手」でしょうか。世界と渡り合える選手が増え、「個」はどんどん伸びています。果たして、日本が次に取るべきは「徹底」的なひとつのスタイルへの追及でしょうか。

 わたしはそうは思いません。指導者が、日本サッカー界が「バリエーション」を持てるだけの「論理性」を身につけなければならないと思っています。

▽『FootballPRINCIPLES 躍動するチームは論理的に作られる』
『FootballPRINCIPLES 躍動するチームは論理的に作られる』