愛媛県公立3校を選手権に導いた谷 謙吾(今治東)監督

谷 謙吾(たに けんご)監督。愛媛県・四国のU-18年代を代表するサッカー指導者である。現役時代は地元・愛媛県から清水東(静岡)に越境入学、日本体育大でも活躍したGK。指導者としても第77回大会(1998年度)・南宇和での選手権出場を皮切りに、2001年度から指揮を執った松山工でも第81回(2002年度)に37年ぶり2度目の選手権出場・続いて第84回大会でも出場。 さらに松山工ではインターハイでも2002年に22年ぶり出場すると、2006年千葉インターハイではベスト8入り。MF松下 佳貴(J1・ベガルタ仙台)DF中野 圭(J3・FC今治)も指導した後、2012年4月からは今治東監督へ。そして8年目の今年、今治勢としても初となる選手権出場に導いだ。 ではなぜ、谷監督は環境も異なる3校を全国の舞台にまで押し上げることができたのか?今回はその秘話と今治東で志すものについて語って頂いた。

「石橋先生の創作」受け継いだ南宇和、「地域で」目指した松山工

 僕は日体大卒業後、南宇和で石橋(智之)先生(第68回<1989年度>全国高校サッカー選手権優勝監督、現:J2・愛媛FCアカデミートータルプロデューサー)から個を育てることを学びました。時間がかかっても個を育てることの積み重ねがチーム力につながる。今治東でも8年かかったけれど、そこをやってきて決勝戦の場に続けて出てきたことが今回の選手権初出場につながったと思います。

 もう1つは「自発的にやってもらう」こと。僕も南宇和の時と松山工の途中までは「やらせる」指導をやっていましたけど、これから先は「やらされてやる」時代ではない。個人の走り方やボールの扱い方といった軸の部分は変わらないけれど、その他の部分は進化しているので、そこも個ともたちが自発的にやっていくように。「与えられたもの」でなく「自分たちにとって必要か」と思ってもらう。個人差はあるけど、そこは僕らがやっていかないといけないことです。

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