11年ぶり11度目の出場を果たしたのが83年度の第62回大会で、首尾よくベスト8に進んだものの、準々決勝では長谷川健太や大榎克己らを擁した清水東(静岡)に0-9という屈辱的な大敗を喫した。

 武南がますます力を付けて大宮東との2強時代に入ると、浦和市立にとっては雌伏の時が長くなった。そうしてあの惨敗から13年後、第75回大会にオレンジ色のユニホームが戻って来た。

 この大会もベスト8まで勝ち上がり、準々決勝で中村俊輔のいた桐光学園(神奈川)と対戦した。会場は13年前と同じく横浜の三ツ沢球技場。0-1で敗れたが、内容的にはスコア以上の完敗だった。

「うちの選手は人が良くて、内弁慶ばかりだからなあ。初めから気持ちで負けていたよね。あれだけ緩急をつけられる桐光学園はすごいけど、うちは全体が引いてしまった。気持ち(の弱さ)が表れてしまった」。

 これが全国高校選手権での磯貝先生の最後の試合となり、敗戦の弁でもあった。

 この準々決勝を翌日に控えた97年1月4日、学校での練習見学に行くと磯貝先生は軽めに調整した後、練習で使ったボールを一つ一つ丁寧に、黙々とタオルで磨いていた。選手には厳しく向き合ったが、こんなところに人柄とサッカーへの愛情を見た思いがした。

 サッカー部OB会主催の「磯貝純一先生を偲ぶ会」は、1月23日に行われる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大のため順延となった。感染者が減少したことで、7月3日に行うことが決まった。出席できないOB向けにekaiin.comでの志を募っている。志は先生の家族に贈られる。