(写真提供=駒澤大学サッカー部)

 1931年に創部された歴史ある駒澤大学体育会サッカー部。2002年には関東大学サッカーリーグ1部を制し、2002年から2004年まで総理大臣杯を3連覇、2004年から2006年までインカレ3連覇を果たすなど輝かしい成績を残してきた。その後、一時低迷するも、2018年のインカレでは決勝に進出。復権の気配を見せつつある駒大サッカー部について、秋田浩一監督に話をうかがった。

ーーまずご経歴を簡単に教えていただけますでしょうか?

 茨城県日立市出身で、高校は茨城県の水戸商業でサッカーをしていました。高校卒業後は駒澤大学に進学、大学卒業後は体育の教員資格を得る為に国士舘大学に編入学しました。当時は国士舘大学に編入学の制度があったので、国士舘大学で2年間学びながらサッカーもしていました。ポジションは高校、大学ともCFで。国士舘大学では、U-20やU-23日本代表監督の山本昌邦氏や元日本代表の柱谷幸一氏らともプレーしましたね。1979年の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで、国士舘大学は初優勝しました。その後に、母校の駒澤大学に助手として採用され、サッカー部のコーチになりました。

ーー指導者を目指したきっかけなどを教えていただけますでしょうか?

 高校(水戸商業)のときの恩師である助川和夫先生に出会い、「サッカーの指導者になりたい」と思うようになったのがきっかけですね。その後、駒澤大学では原山良勁先生(現京都市天寧寺住職)、国士舘大学では現国士舘大学理事長の大澤英雄先生に指導を受けたことで、サッカーの指導者になりたいという目標が確固たるものになりました。高校のときはサッカー部の部訓が「不撓不屈」だったんですけれども、監督の助川先生から人間教育の大切さを学びましたね。苦労や困難にもくじけず、強い意志を持って立派な人間を育てることが重要なんだということを教えられました。

[page_break:昨シーズンを振り返って

ーーコロナ禍という状況で日程的にも難しい面があったかと思いますが、昨シーズンを振り返っていただけますでしょうか?

 厳しいシーズンだったとは思いますが、リーグ戦の後期の途中まではチームとしてもよく頑張っていたと思います。その中で、11月中旬に部でクラスターが発生し、約3週間ほど活動が自粛になりました。学内の施設から外出できない状況でしたので、とくに新型コロナに罹患していない学生たちは精神的にも大変な部分があったと思います。リーグ戦が再開後は日程的に厳しいところもありましたが、その中で選手たちは本当に頑張ってくれたと思います。今までにない厳しい経験をした中で得るものも大きかったでしょうし、彼らにとって必ず今後の糧になると思います。

ーーリーグ戦、カップ戦を含めて、昨シーズンでターニングポイントとなった試合などはありますでしょうか?

(写真提供=駒澤大学サッカー部)

 しいて言えばリーグ戦後期の法政大学戦でしょうかね。法政戦は終了間際に1点取られて2-3で負けたんですね。この試合に勝っていればインカレに行けたかもしれないという状況でしたので勝ちたかったんですけれど、コンディション的な面もあり、選手たちはやや疲弊していました。ただ、そんな中でも全員が「最後まであきらめず全力で戦う」という駒澤大学サッカー部の理念を体現するような試合をしてくれたことが心に響きました。

 大学でサッカーをすることは、結果だけではなく、途中のプロセスも大切です。その後結果を受け入れて次どのようにすることが重要なんです。全力を尽くして負けたのであればそれを受け入れることが大切だと思うんです。結果だけでなく途中のプロセスや負けを受け入れ、その後どうするかということが重要なんですね。サッカーはチームプレーなので、負けたまま終わるのではなく、個人としてどうすれば良かったのか、この後はどんなことを考えているのか、チームとしてどうするべきかなど、その後の取り組みに活用することができるといいなと思っています。

 次回は現在のチーム構成やチームとして求める選手についての話などを紹介する。

(取材=高校サッカードットコム編集部)