飯尾一慶氏(元東京ヴェルディ)

 東京ヴェルディなどを含む複数のJクラブでプレーし、現在はサッカースクールクレシメント(八王子)やクレシメントサッカースクールで指導をする飯尾一慶氏にお話を伺った。

ーー中学生時代は読売日本SCジュニアユース(現東京ヴェルディジュニアユース)で輝かしい成績を残してますが、当時を振り返ってください。

 17時半から20時までが練習で、その後2時間くらい自主練習をする日々でした。月曜日のオフを除いて、週6でサッカー漬けの日々でした。

 ジュニアユース全体で、A~Cチームまであり、入った時はCチームからのスタートでした。最初は全然練習についていけなかったです。小学6年の終わりから参加出来るのですが、身体も違いますし、最初の1、2ヶ月は全然ついていけず、辞めようとも思いましたが、ジュニアユースの練習には参加せず、トラップだとか、小学校に行き自主練習を重ねました。最終的に退団する事を悩みましたが、辞めたら後悔すると思い、結局続けることに決めました。

 そこから、練習が終わって一番最後まで残って自主練習をしたりと、めちゃくちゃ頑張りましたね。すると、3ヶ月くらい経過した頃に、Cチームの中でしたが、少しずつ試合に出られるようになっていきました。そこからは辛い思いはなくなりました。中3の時はAチームで出れるようになり、高円宮杯で優勝したり、周りも上手い選手ばかりで、かなり強かったです。

ーー読売日本SCユース時代(現東京ヴェルディユース)にはU16日本代表のキャプテンを務めましたが、高校時代の事もお聞かせください。 

 実際には中3からユースの試合とか練習に出させてもらっていました。ヴェルディでサッカー選手になる事を考えていたので、ユースに上がる事しか考えていなかったですね。高校サッカーに憧れて、高校に入る選手もいましたが、自分は無かったです。

 トップ、ユース、ジュニアユースと活動場所が同じなので、知った環境の中でプレーができました。トップの選手たちのプレーを見て良く参考にしていましたね。高1からユースの試合には出ていました。全体で30人位で、同じ学年はジュニアユース以外から上がった人は1人しかいませんでした。

 当時ジュニアユースも強かったので、そのまま下からユースに上がってくる選手ばかりでした。ユースもみんな上手い選手ばかりでしたし、あまり戦術的な事を言われるよりは、ある程度個人の裁量に任せられていました。ユースの時は、高2からトップチームの活動に参加していたので、あまりユースの大会の印象は無いですね。

 アンダーの日本代表では、自分は早生まれなので、一つ下の学年に入ってやって、U16ではキャプテンを務めました。練習メニューもヴェルディユースとかとは違い、すごく新鮮でした。

ーートップに昇格した時の想いはどうでしたか?

 実際には高1の頃から、トップチームの紅白戦や練習に急に呼ばれたり、高2からはトップチームの活動に参加したりと、サテライトでプレーしていましたが、実際にプロ契約したのは高3の6月位でした。ユースでプレーしながら、プロになれるかもしれないというのは、感覚的にありましたが、実際になれた時は嬉しかったですね。ヴェルディでプロになりたかったですし、ジュニアユースからやってきてヴェルディが好きだったので。高3の5月に国立でプロデビュー出来て、その時は気持ちよかったですね。

ーー後編に続く。

(取材=編集部)

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