昨年度の選手権大阪予選優勝後(写真=会田健司)

 昨年度の第99回全国高校サッカー選手権大会に6年ぶりに大阪府代表として出場を果たし、先日U-24日本代表として国際親善試合・アルゼンチン戦でゴールを決めたJ1サガン鳥栖でブレイク中の林大地選手など、数々のJリーガーを輩出している履正社の平野直樹監督に、ご自身のサッカー少年時代のエピソードや、ベガルタ仙台トップチームの監督代行を務め、当時最年少でS級ライセンスを取得するなど、数々の実績を残してきた指導者についても話を伺った。

ーー指導者になったところから教えてください。

 93年からガンバ大阪でコーチをやらせてもらっていたので、Jリーグ開幕の華やかな時代には僕はコーチになっていました。その時のガンバのユースには宮本(現J1ガンバ大阪監督)がいましたね。

ーーその時代に、その若さの現役選手が自ら指導者の道に行くっていうのは珍しかったんでは?

 そうですね。サッカーは好きで勉強をしていたんです。中学高校の時からサッカーの指導書を色々取り寄せていたりしていました。気持ちと根性はあったんですけど、サッカーが下手だったので、ユース代表だったりに選んでもらったりはしたんだけど、この先のA代表に入れるかって言ったら違うかなと。そんな中で自分みたいに身体能力があっても、ちゃんとした技術を持っている子を育てないとダメだなと思うようになりました。

ーーそれは日本サッカーのためにということですか?

 そこまでは考えていなかったですけど、「おれ上手かったらもうちょっと行けたんじゃない?」って僕自身がもっといい選手になれただろうなと思っていました。こんな下手な子でもユース代表になれて、大学もスポーツ推薦で行けて、社会人でもサッカーが出来たっていう事で、指導していただいた四中工の城先生や順天堂の小宮先生には良さを伸ばしていただき感謝しています。

ーー指導者を目指すことになったきっかけはあったんですか?

 やりたいことが合ってもトラップが上手くいかないと周りが見えなくてミスをする。自分自身に凄く苛立ったんですよね。やりたいことが出来ないって。トラップがピシッと決まった時にはちゃんと上手くできたんですけど、その回数が少なかったんで「おれはなんて下手なんだろう」っていうのがあって、それがきっかけかもしれないですね。あとは、僕が子供の時より成熟されたチームが増えてきて、W杯だとかで海外のサッカーを見る機会も増えてきたんですよね。僕がコーチになり始めた頃にアメリカW杯があって、優勝したブラジルでも体の向きだったりステップだったりがちゃんとしていて。あんなに上手い選手達がきちっとそういう基本のところが出来ているっていうね。そういうことも伝えていかないといけないと思いました。今の(日本サッカー協会の)会長の田嶋さんだったりが、その頃から指導者を養成していかないといけないってやり始めた頃でもありました。指導者ももっともっと勉強しないといけないっていう波に僕もいましたから。

ーーガンバ大阪ユースのコーチの後はどうでしたか?

 その後はガンバのジュニアユースの監督になったんですけど、その時に稲本だったり大黒だったりがそこにいたんですよ。彼らがその後代表に入っていくのをみて「中学生の時にこれぐらいできれば代表に入れるんだな」という良い指標が出来た。その基準を彼らから学ばせてもらったのが良かったですね。やりたいことがわかっていても基準がわからないと指導するのも難しいですから。「これが出来ないと上では通用しないよ」っていうことで、それは今でも変わらないですね。

ーーガンバの後はベガルタ仙台に行きますよね?

 そうです。仙台の育成に行ったんですけど、トップチームの調子が良くなくてそっちも手伝うことになりました。それで途中で監督が更迭されて代行監督を2試合ぐらいやらせてもらいました。そのあと清水秀彦さんが監督になったので、その下でコーチをやらせてもらいました。その後はスクール事業を立ち上げることになって、仙台はスクールがなかったので一から作った。その時にガンバでやらせてもらっていたことが役に立って。大阪が長かったので仙台に行った時は不安だったんですけど、サッカー界は狭いですよね。どこ行っても指導者の仲間がいて、サッカーの話をして。酒とサッカーの話があればどこでも生きていけます(笑)。

ーーその時にS級ライセンスをしたんですか?

 はい。スクールを立ち上げした時に「スクールを軌道に乗せたらS級ライセンスを取りに行っていいよ」と言われていたので取らせてもらいました。その時35か36歳だったんですけど、当時の歴代最年少でS級を取ることが出来ました。その時の同期が鈴木淳さん、反町康治さん、山田耕介先生、布啓一郎さん。今の指導者のトップの人たちだったので、その人たちに可愛がってもらいましたね。

ーー監督とコーチとして仙台でトップチームにも関わった上で、Jリーグの別のチームの監督やコーチではなく、高体連の指導者に落ち着いたのには理由があるんですか?

 自分に合っているかはわからないんですけど、課題があればどうにかしたいというタイプだからですかね。元々、自分が勝たせて名声を得ようっていうタイプではないんですよ。ちょっとでもいい選手を育てたいっていうところがベースにあるので。だからもしかしたら育成のラストスパートである大学だったかもしれないですけど、僕はトップチームではなかったですね。でもトップでもサテライトならやりたかった。今はU-23とかエリートリーグとかできましたけど、当時のサテライトはトップチームの調整相手みたいな立ち位置でしたから。そこがしっかりしていればもっと強いチームになれるとは思っていました。野球のソフトバンクなんてそうじゃないですか。1軍が強いんですけど、2軍3軍もがっちりコーチがいて、2軍3軍の対戦相手がいなければ韓国遠征だってする。だからプロになって終わりではないんですよね。2軍3軍にいい指導者がいるチームは強いと思います。

――なるほど。それで仙台の後どうやって履正社の監督になっていくんですか?

 仙台の後にヴィッセルの育成の方に行ったんですけど、同時にナショナルトレセンをやる予定だったんです。でもその話がなくなってしまったので、星稜の川崎先生に手伝ってほしいと言われて星稜にいったんです。その時にちょうど1年生に本田圭佑がいたりして。彼のメンタリティーは凄くて、ガンバのユースに上がれなくても、星稜で1年生から試合に出て「絶対に負けない!やってやる!」ていうね。Jクラブのアカデミーが長かったので高体連はどうなんだろうということで、入ってみたら高体連の良さもやっぱりあるんですよ。そんなご縁もあったので、高校サッカーに携わる事になったんです。その後履正社から話を頂いて。そしたら履正社でもう18年になってしまいました(笑)。

――18年履正社で監督をやられてみてこれからやりたいことはありますか?

 まだ履正社の後進を育てられていないんで育てないといけないですよね。平野の履正社になってしまっているので、僕がいなくても履正社を選んでもらわないといけない。僕は指導者として失敗もいっぱいさせてもらいましたから、後進にもトライ&エラーをいっぱいさせてあげられる場所を与えたいですね。選手を育てると同時に指導者も育てていかないといけない。でも現状ではコーチがトライ&エラーをできる機会が中々ないんです。だからシステムを変えないといけないかもしれないですよね。選手はリーグ戦で失敗が出来るんだから。例えばプリンスリーグは平野が監督をやります。違うリーグでは同じトップチームでも違う監督を立てないといけない決まりをつくるとか。自分で采配を振るう経験をさせる機会が必要だとは思います。

――先程、高体連の良さもあるとおっしゃいましたが、どの辺りが良さだと思いますが?

 そうですねJのアカデミーでは選手の好きなサッカーをしている時しか一緒にいられないじゃないですか。高体連は学校の先生だから、選手たちの勉強だとか苦手なことだったり「これを見られたらやばいな」ってことも情報がいっぱい入ってくるんですよ。提出物を出していないとか。好きなことをやっている時って機嫌がいいですよね。でも嫌いだったり苦手なことをやっている時って機嫌が悪い。そこで指導者がやらなければいけない事もあるんで、そういう事も学べる場所っていうことですね。だからサッカーでも自分たちがボールを持っている時は機嫌がいいけど、相手ボールになった時に「ここは我慢だ」っていう場面も沢山ありますから。そういうところに繋がってくると思います。Jクラブの指導者は1年2年の契約が多いと思いますし、そうなると直ぐに結果を残さないといけなくなってしまいます。そうなると勝てるメンバーで固定してしまったりっていうことも出てくる。指導者も失敗を経験できる場所が必要なので、そういう意味では高体連の方が指導者はじっくり腰を据えてできるのかなと。もちろんJクラブの良さも沢山ありますけどね。

――指導者の育成について伺えますか?

 そうですね。一人の凄い選手を育てるのも大事だとは思うんですが、一人のいい指導者が100人の選手を育成できるのであれば、10人いい指導者がいれば1.000人育成出来て、100人いい指導者がいれば1万人の選手を指導することが出来ます。だからいい指導者を育成することは日本サッカーにとって大事なことだと思います。いまでもインストラクターみたいなこともしているんですが、そういう事もやっていければいいですね。

――最後に指導者をやっていて喜びを感じられる瞬間を教えてもらえますか?

 やっぱりサッカーが好きで次のステージに行って、サッカーで笑顔になれる人を作ってくれる時ですかね。だから田中駿汰(J1北海道コンサドーレ札幌)もそうだし林大地(J1サガン鳥栖)もそうだし、卒業生が活躍してくれて、周りの人や子供に夢や希望を与えてくれているのが嬉しいですよね。それは選手だけではなくて、いい指導者になってくれたり、成長していった姿を見られるのが嬉しいですね。

(文・写真=会田健司)