初優勝を狙った大津イレブン(写真=矢島公彦)

 大津はもう一つの想いも背負っていた。7日には九州で凌ぎを削った長崎総科大附の小嶺忠敏監督が76歳で亡くなった。また、その日の夜には、新型コロナの陽性者が出たため、関東一が大会を辞退。動揺を隠せなかった選手に対し、平岡和徳総監督はこんな言葉をかけたという。「ここまで来たら結果うんぬんではなく、とにかく自分たちが今までやってきた事を精一杯出し切って、熊本県民や九州の方々、そして小嶺先生、関東一の想いを背負って戦って欲しい」。決勝で敗れはしたが、大津が今大会、様々な人の想いを背負って見せた戦いぶりは称賛に値する。

 14年ぶりの高川学園も、大会前に主将のDF奥野奨太(3年)が左ひざを負傷。それでも、立派に開会式で選手宣言を勤め上げた姿には多くの人への勇気となった。正確な左足を武器にビルドアップの起点となっていた彼の離脱は、チームとして痛かったのは事実だ。実際、彼が戦線離脱してからはチームが上手く行かず、勝てない試合が続いていた。だが、蓋を開ければ粘り強い勝ち上がりを披露。MF北健志郎(3年)は、「大会が始まってからは、『奥野を絶対に国立に連れて行こう』とチームが一つになれた。そこから初戦に勝つ事が出来て、チーム全体が勢いに乗れてここまで来られた」と口にする。「準決勝が決まってから、奥野を日本一のキャプテンにすると思っていた」という北は準決勝で負けた後、奥野に申し訳ないと伝えたという。奥野が返した「ありがとう」という言葉には、一言では語り切れない想いや、友情が詰まっている。

 選手権という大会自体も、先人たちの様々な想いのバトンを受け継がれながら、100回まで開催することが出来た。来年の101回大会以降も、そうした様々な人の想いのバトンを途切れさせない熱戦が繰り広げられるはずだ。

(文=森田将義 写真=矢島公彦)

▽第100回全国高校サッカー選手権
第100回全国高校サッカー選手権