(写真=田畑雅宏)

空気が違う、景色が違う、人間が違う。
失われた何かが、意欲が沸き返ってくる。
それはきっと人と人が現実の空間で再会した時に感じるのだろう。
育成とは何か、選手の育成が大事だと人は言う。
小さいときからサッカーを教えなければ、技術をつけなければと人は言う。
認知能力を小さいときから鍛えないと間に合わないと人は言う。
まずはドリブル。足元の技術を身につけさせなければと人は言う。
スペインではと人は言う。
ドイツではと人は言う。
ブラジルではと人は言う。
メッシは特別メッシを目指してもメッシにはなれないと人は言う。

そんなことしても上手くならない。無駄だという人もいる。
無駄があって、無駄があって、結局は無駄でなかったと言えるところまでやり続ける。
全ては無駄の中に答えがある。
無駄なんてものはこの世にひとつもない。

今の世の中、沢山の情報が入り込んでくる。
全てが頭で考えるところからスタートしている。
みんなが頭で考えて理想のサッカーに落とし込んでいくことへの危機感を感じる。

単色の輝きが薄れてしまうことを恐れている。
色々な色が混じることで太陽光をプリズムで映し出したような輝いた単色を作り出せるか。それこそが未来への育成のヒント。

育成は、選手も指導者も、失敗して成功して失敗して成功しての繰り返ししかない。
全てを頭の中で判断して良い悪いを決めることは本当に危険な育成になる。
どんなに素晴らしい言葉で表現しても育成は言葉では表現できない。
SNSで完結する育成であってはならない。

そして、指導者の年齢が若ければ選手の気持ちが理解できる。そこから間違いが発生する。
指導者の年齢が高いと経験が邪魔して柔軟性がなくなる。そこから間違いが発生する。

指導者に年齢は関係ない。指導年数も関係ない。
大切なことは指導者その人の「人」そのものだから。

サッカーは楽しむもの。
誰と一緒に楽しむのか。

遊びの先に見つけた道が人生だよと人は言う。

(文・写真=田畑雅宏)